チーム
広報
2025年12月13日
【TOP】松本健太郎選手 現役引退のお知らせ
2025年12月13日
日頃より東京23FCにご声援いただき誠にありがとうございます。
この度、No.26 松本健太郎選手が2025シーズン限りをもちまして現役を引退することとなりましたのでお知らせいたします。
プロフィール/戦歴
【背番号】
No.26
【氏名】
松本健太郎
【出身地】
佐賀県小城市
【生年月日】
1996/03/14
【身長/体重】
170cm / 66kg
【選手歴】
三日月小年サッカークラブ(4種)→三日月中学校(3種)→佐賀北高校(2種)→佐賀大学→ファジアーノ岡山→いわきFC→VONDS市原(期限付き)→東京23FC
【2025成績】
関東サッカーリーグ 18試合2得点1アシスト
KSL市原ATHLETAカップ 0試合0得点
東京都社会人サッカーチャンピオンシップ 2試合0得点
東京都サッカートーナメント2試合0得点2アシスト
全国社会人サッカー選手権大会 関東予選 2試合0得点
全国社会人サッカー選手権大会 2試合0得点
No.26
【氏名】
松本健太郎
【出身地】
佐賀県小城市
【生年月日】
1996/03/14
【身長/体重】
170cm / 66kg
【選手歴】
三日月小年サッカークラブ(4種)→三日月中学校(3種)→佐賀北高校(2種)→佐賀大学→ファジアーノ岡山→いわきFC→VONDS市原(期限付き)→東京23FC
【2025成績】
関東サッカーリーグ 18試合2得点1アシスト
KSL市原ATHLETAカップ 0試合0得点
東京都社会人サッカーチャンピオンシップ 2試合0得点
東京都サッカートーナメント2試合0得点2アシスト
全国社会人サッカー選手権大会 関東予選 2試合0得点
全国社会人サッカー選手権大会 2試合0得点
選手コメント
今シーズンをもちまして、サッカー選手としてのキャリアに区切りをつける決断をしました。
3年前、前十字靱帯損傷のリハビリ中に契約満了になった僕に声をかけていただき、サッカーを続けるチャンスをいただけた東京23FCに本当に感謝しています。
振り返るとこの3年間は、毎朝5時に起き、7時から練習をし、そのまま仕事へ向かう過酷な毎日でした。
その過程で、人としての価値観は大きく変わり、サッカー選手として以上に、人間として何倍も成長できた時間だったと思います。
そして何より、大きな怪我なく、自分らしくプレーし、サッカーを心から楽しむことができました。
目標を叶えることはできませんでしたが、心強いサポーターの皆さんと、えどりくで共に戦えた時間は、かけがえのない財産です。
これからは、東京23FCが江戸川の誇りの存在となる未来を、心から応援しています。
プロとしてのキャリアをスタートさせていただいたファジアーノ岡山。
田舎者で何者でもなかった自分に、プロとしてのチャンスを与えてくださり、本当にありがとうございました。
岡山で過ごした悔しい2年間がなければ、この年までサッカーにしがみつき続けることはできなかったと思います。サッカー選手として生き抜く姿勢と覚悟を学びました。
いわきFCでは、アスリートとしての意識や取り組み方を根本から変えていただきました。
クラブが掲げる素晴らしいフィロソフィーの中で過ごした日々は、価値観を大きく塗り替え、どこへ行っても誇りを持てる基盤となりました。
そしてVONDS市原。
レンタルで2度もチャンスをいただきながら、2年連続の大怪我で力になれなかったことは、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも受け入れ続けてくれたチームで、現役最後の公式戦で戦えたことは、自分にとって特別以上の意味を持っています。
何をしてもうまくいかず、心が折れそうになった日もありました。
それでも前を向いてやり抜いてきた時間は、これからの自分を支える揺るがない軸であり、今も強く背中を押してくれる原動力です。
サッカーを始めた三日月少年SC、三日月中学校、佐賀北高校、佐賀大学、ファジアーノ岡山、いわきFC、VONDS市原、東京23FC。指導してくださった皆様、チームメイト、ファンサポーターの皆様、各地域の人々。サッカーが繋いでくれたすべてのご縁に、心から感謝しています。
最後に、ボールを蹴り始めた日から今日まで、悔しさも喜びも、全部を一緒に背負ってくれた両親と家族へ。
もがき苦しんだ日々も、不安で押し潰されそうになったときも、支え、信じ続けてくれたその存在が、僕を何度も立ち上がらせてくれました。
本当に、ありがとう。
3年前、前十字靱帯損傷のリハビリ中に契約満了になった僕に声をかけていただき、サッカーを続けるチャンスをいただけた東京23FCに本当に感謝しています。
振り返るとこの3年間は、毎朝5時に起き、7時から練習をし、そのまま仕事へ向かう過酷な毎日でした。
その過程で、人としての価値観は大きく変わり、サッカー選手として以上に、人間として何倍も成長できた時間だったと思います。
そして何より、大きな怪我なく、自分らしくプレーし、サッカーを心から楽しむことができました。
目標を叶えることはできませんでしたが、心強いサポーターの皆さんと、えどりくで共に戦えた時間は、かけがえのない財産です。
これからは、東京23FCが江戸川の誇りの存在となる未来を、心から応援しています。
プロとしてのキャリアをスタートさせていただいたファジアーノ岡山。
田舎者で何者でもなかった自分に、プロとしてのチャンスを与えてくださり、本当にありがとうございました。
岡山で過ごした悔しい2年間がなければ、この年までサッカーにしがみつき続けることはできなかったと思います。サッカー選手として生き抜く姿勢と覚悟を学びました。
いわきFCでは、アスリートとしての意識や取り組み方を根本から変えていただきました。
クラブが掲げる素晴らしいフィロソフィーの中で過ごした日々は、価値観を大きく塗り替え、どこへ行っても誇りを持てる基盤となりました。
そしてVONDS市原。
レンタルで2度もチャンスをいただきながら、2年連続の大怪我で力になれなかったことは、今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも受け入れ続けてくれたチームで、現役最後の公式戦で戦えたことは、自分にとって特別以上の意味を持っています。
何をしてもうまくいかず、心が折れそうになった日もありました。
それでも前を向いてやり抜いてきた時間は、これからの自分を支える揺るがない軸であり、今も強く背中を押してくれる原動力です。
サッカーを始めた三日月少年SC、三日月中学校、佐賀北高校、佐賀大学、ファジアーノ岡山、いわきFC、VONDS市原、東京23FC。指導してくださった皆様、チームメイト、ファンサポーターの皆様、各地域の人々。サッカーが繋いでくれたすべてのご縁に、心から感謝しています。
最後に、ボールを蹴り始めた日から今日まで、悔しさも喜びも、全部を一緒に背負ってくれた両親と家族へ。
もがき苦しんだ日々も、不安で押し潰されそうになったときも、支え、信じ続けてくれたその存在が、僕を何度も立ち上がらせてくれました。
本当に、ありがとう。